こんにちは!キリシマです。
新関脇でいきなり大注目の優勝を勝ち取った若隆景。「次の大関」とも呼ばれるほど、続けて良い成績を出してましたよね。
でも、残念なことに怪我でちょっと姿を消してしまいました。大丈夫かな、どうなるんだろうって心配しているファンも多いはず。
今回は、そんな若隆景に焦点を当て、彼がどのようにして関脇の座まで駆け上がったのか、そして怪我からどのように復活するのか、そのエピソードと展望を一緒に探ってみましょう。
目次
プロフィール
四股名 若隆景 渥
本名 大波 渥
愛称 アツシ
生年月日 1994年12月6日(28歳)
出身 福島県福島市
身長 182.0cm
体重 132.0kg
血液型 O型
所属部屋 荒汐部屋
得意技 おっつけ、右四つ、左前廻し、寄り
現在の番付 東十両7枚目
最高位 東関脇
相撲一家の誇り 三役昇進から困難な過去
一家全員力士、相撲一家の誇り
祖父から父、そして兄まで、家族全員が力士。
祖父は元小結の若葉山
父は元幕下力士の若信夫
長兄は幕下の若隆元
次兄は関脇の若元春
実家は福島駅近くでちゃんこ屋「若葉山」を営んでおり生粋の相撲一家ですね。
わぁ~生粋の相撲一家だ! 実家が相撲部屋ではないのがちょっと新鮮。
祖父や親が元力士だと、親が師匠で相撲部屋自体が実家っていう兄弟力士いるもんね。
逃げ場なしみたいな(苦笑)←あたしの勝手な想像だけど。
実家のちゃんこ屋さん、ぜひ行ってみたいですね~食べたいですわ~。
三役兄弟、史上3組目の偉業
2023年1月場所で若元春が三役に昇進し、兄弟が同時に三役になるという歴史的な瞬間が訪れました。
これは寺尾・逆鉾、若花田・貴花田に次ぐ史上3組目の偉業。
三兄弟全員が関取になる日も近いかもしれません。
多才なスポーツ少年から相撲へ
若隆景は小学生のころから相撲だけではなく、柔道や陸上にも打ち込み、中学になってからは相撲に特化。
この多様なスポーツ経験が、彼の幅広い技術とフットワークに繋がっているのですね。
呑み込みが早いのか。各々スポーツの良い所を取り入れて自分のモノにするってことですか。
センスも抜群ね。
運動神経の良い人って、教えられなくてもすぐに出来るようになるんだよな…。できる人の動きをちょっと見てるだけで、パパッと。
うらやましい…。こればっかりは努力だけでは何ともならんような気するのは、あたしだけ?
手取り足取り教えてもらっても、同じ動きどころか、何故かまるで違うモノ?
言われとることは分かる、分かっとるつもり。がしかし、体が違う動きをする…何故だ?これもある意味すごい事なのか?(笑)
初戦敗退でも負けず
中学時代は全国大会でも1回戦で敗退することが多かったとされていますが、その悔しさが今の若隆景を作っているのでしょうか。
そんな初戦敗退続きの過去が、今の彼を強くしているのかもしれません。なんとも励みになる話ですね!
荒汐部屋での避難生活
若隆景は福島県出身で、彼の高校時代は2011年の東日本大震災によって大きく影響を受けてしまいます。
高校の土俵は壊れてしまい、その後も福島第一原発の事故が発生。
この影響で若隆景と兄の若元春は、東京にある荒汐部屋で1ヶ月間の避難生活を送ることになりました。
なぜ荒汐部屋なのかというと、実は一番上の兄、若隆元がすでにこの部屋入門していたから。そして先代の親方が、被爆するリスクを考慮して急遽呼び寄せてくれたのでした。
この間、両親は親類の元に避難。家族は離れ離れになり、不安な日々を過ごしたそうです。
しかし、そのような困難な状況下で、呼び寄せてくれた先代の親方や兄弟の存在は、若隆景にとって大きな心の支えとなった事でしょうね。
ああ~今でも思い出しますわ、テレビ中継の津波映像…何が起こっているのか思考停止に陥ったもん。地元の人の叫ぶ声が耳に残ってる…。未だに涙が出てくる。
この先どうなってしまうのか…見えない不安の中、両親とも離れて暮らすって精神的に参ってしまうわ。親方に感謝、お兄ちゃんに感謝。
こんな壮絶な体験がよりいっそう彼を強くしたのかな。
「負けず嫌い」から大学進学 そして幕内での競り合い
「負けず嫌い」が成功の秘訣
相撲部の顧問によれば、若隆景は高校時代から「負けず嫌い」であり、稽古に対する姿勢は一切手を抜かなかったと言います。
この精神が全日本ジュニア選手権での優勝へと繋がったのでしょう。
強い人、強くなる人って妥協しないもの。とことん自分に厳しいのよ。
負けず嫌いって、「人に負けたくない」だけじゃないんだよね。「自分に負けたくない」もありなんじゃない?
大学進学がもたらしたチャンス
兄2人が高校卒業後すぐに入門する中、若隆景は大学進学を選び、東洋大学で相撲を続けました。
大学時代には体重を30キロも増やし、技巧派として成長。
様々な実績を残し大相撲の三段目最下位付出の資格も獲得します。
角界入りするか迷っていたそうですですが、三段目付出の資格を獲得したことで角界入りを決意。
本人も「大学で体も大きくなったし、相撲の技術も向上しました。あの4年間があったからこそ
今こうして大相撲の世界におられるんだなと思います。」と後に振り返っています。
入門は兄2人より遅れましたが、結果的に一番早く出世しているのでこの選択は間違いではなかったようですね。
力士って深いですね~。若隆景は技巧派であり、頭脳派でもありですね。
世界で活躍する各種競技のアスリートが「最強アスリートは?」との質問に、「相撲レスラー」「力士」と答えるそうな。
ラグビーやアメフト選手でさえ、現役力士には敵わないと思っているそうですよ。それぐらい凄いのね。
力士の当たりの強さって、軽自動車とぶつかった位の衝撃なんですって! 死ぬよね…。
食事が憂鬱な時期も
相撲部での寮生活では食事が一つの壁だったようです。
体重を増やすために「もっと食べろ」と言われ続けた日々が、若隆景にとっては憂鬱なものでした。
力士は食べるのも仕事ですが、若隆景のように太れない体質の人は食事の時間も辛くなってしまうのでしょうね。
たくさん食べれん人が「食べろ食べろ」「もっと食べろ」ってのもキツイだろな。どこぞの女将さまが言っとらしたよ。「痩せるより太る方が大変なんだなと思った」って。
御嶽海による生きた教訓
大学の先輩である御嶽海からは、合宿所での返事や会話の仕方など、相撲界で生き抜くための“常識”を教わりました。
この二人は幕内でも何度も対戦があり若隆景が初優勝した2022年3月場所では、御嶽海が大関の維持を見せて勝利したこともあります。
怪我もあり今はともに平幕に落ちていますが、また上位を盛り上げる存在になってほしいですね。
まあ役に立つ立つ。いろんな事が、いろんな所で、いろんな意味で…ね(笑)
新関脇での歴史的優勝から心配の大怪我
新関脇で破格の優勝
若隆景が2021年3月場所で関脇に昇進した時の喜びは、単なる昇進だけでなく、それ以上のものでした。
なんとこの場所で自己最速となる9日目に勝ち越しを決め、さらには優勝まで手に入れたのです。
新関脇での優勝は86年ぶり
年6場所制定着移行では史上初
福島県出身力士の優勝は50年ぶり
荒汐部屋からは初めての優勝力士
ごっちゃんです!
多くの賞賛と注目
この新関脇での優勝は多くの評価を受けました。
八角理事長からは「自信をつけたんじゃないか」と高評価。
さらに北の富士さんからも「火の打ち所のない完璧な相撲」と絶賛されました。
そりゃ、あれだけの大記録ですものね。だけど記録だけじゃなく、勝ち方・内容も良かったから頂けたお言葉だったのよね。大相撲人気も急上昇でしょうしね。
突如の大怪我
しかし、2023年3月場所での大怪我が彼のキャリアに暗い影を落としてしまいます。
13日目の琴の若戦で右膝を痛め、その後休場となってしまったのです。
大関昇進がささやかれる中での怪我であり、ファンはもちろん、北の富士さんも「残念でならない」とコメントしています。
これも与えられし試練なのか?壁が立ちふさがったら、乗り越えりゃいい。乗り越えれんならぶち壊しゃいい!
ドリル持って応援に行くぜ!
感想・まとめ
若隆景のこれまでの道のりは、文字通り波乱万丈と言えるでしょうね。
その中で「負けず嫌い」の精神が彼を支えてきたのは明らか。
大学進学、食事での苦労、先輩からの教え、そして怪我。
多くの困難を乗り越えてきた彼だからこそ、新たな壁も乗り越えられますよ、きっと。
彼が一日も早く土俵に戻り、再び頂点を目指し、ファンを楽しませてくれる日を心より願っています。
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